法華寺(県指定文化財)
東山遊歩道の一角、日本遺産の本堂と番神堂を擁する
寺伝によると、越後の国蒲原郡本成寺の11世日扇は、現在の国府町出身で、生まれ故郷に法華宗本門の道場がないことを憂い、弟子を飛騨に入らせ、永禄元年(1558年)西之一色村に道場を創立したのが始まりであると言われている。
寛永9年(1632年)、肥後熊本藩主加藤清正の孫にあたる加藤光正が流罪の身となって天照寺に閉居したが20歳で病死した。そのことを憐れんだ、三代金森重頼が寛永11年(1634年)、高山城内の建物をここに移して本堂とした。
宝暦年間の平面図が残されている。
法華寺本堂
- 県指定重要文化財
- 高山城内の建物を移築したもので、その外観は書院造りの名残が見られ、重量感あふれる建築である。
- 加藤光正の墓は法華寺裏山にあり、その遺品は寺宝として今に伝えられている。
- 昭和45年~47年には自火報設備、本堂の半解体修理を行い、平成5年に須弥壇と内陣の天井、欄間彫刻等の全面修理を行った。その際、須弥壇脇の六枚の彫刻と、内陣手前の厚鴨居上端に裏書が確認された。
- 建物内部は、正面からゆったりとした広縁があり、腰唐戸の障子がやわらかい感じを与える。
- 内陣正面にみられる蟇股(かえるまた)*や欄間の花鳥色彩彫刻から桃山時代の様式を伺い知ることができる。内陣を除き、柱は全て角柱面取がしてある。
- 建物外観は開口が八間もあり重量感にあふれ、寺院様の装飾は何一つ見当たらない。両妻飾りがなく木連(きづれ)格子組(こうしぐみ)(縦横等間隔で、組まれた格子)となっているので、一層書院造りの風格が強調されている。
*和様建築で、梁や頭貫(かしらぬき)上にあって上の荷重を支える材。蛙股とも書く。梁上にあるものは厚い板状でこれを板蟇股という。平安時代からカエルが足を開いたような形のものができ、これを本蟇股という。
法華寺番神堂(ばんじんどう)
- 市指定文化財
- 法華寺本堂横に位置する。
- 内部は奥行1間が上段になり、床は上段に六帖、下段に9帖の畳敷きである。内部に社が設けられ、中央には鬼子母神が祀られている。
- 享和2年(1802年)には五番善神を堂内に奉っているとあり、法華守護の五神と考えられる。
- 一ケ月、三十日の間毎日交代で国家と人々をお守りする日本の神々を祀ったお堂、つまり「三十日の各々の日にちを当番する神様(三十番神)」を祀っている。
基本情報
- 所在地
- 岐阜県高山市天性寺町62
- 電話番号
- 0577-32-4517
- アクセス
- 高山駅より徒歩30分
- 駐車場(普通車)
- あり