宗猷寺
東山遊歩道の一角、高山唯一の臨済宗寺院
寛永9年(1632年)金森三代重頼(しげより)と重勝(しげかつ)*の兄弟が父金森可重(ありしげ)の菩提を弔うために建立し、境内は鐘堂、本堂、観音堂、庭園などからなっている。また、幕末から明治時代の幕臣山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)が弘化2年(1845年)、幕府から派遣され直轄地の高山を治める役人となった父に従い、幼少期を高山で過ごし、禅学をこの寺で修めている。境内には鉄舟の両親の墓と碑が祀られており、市指定史跡となっている。観音堂は山岡鉄舟の寄進によるもの。
また、裏山の墓地には木地師の集団墓地があり、市指定有形民俗文化財に指定されている。
*金森重勝:後の金森左京(かなもりさきょう)
*木地師:とち、ぶな、けやきなどの木を伐り、お椀やお盆などの素地を作り出す職人
宗猷寺本堂
- 市指定重要文化財
- 禅宗様式と唐様式が混交した重厚で美しい建築物で、高山市内で唯一の臨済宗妙心寺派の寺院である。
- 当初は新安国寺といったが、重頼の法号「真龍院殿」と重勝の法号徽(き)「雲宗猷居士」から山号を「真龍山」、寺号を宗猷寺と改めた。
- 永禄6年(1563年)の兵火(へいか)(戦火)で荒れ果てた国府町の安国寺を復興した 南叟宗安(なんそうそうあん)が金森重頼(しげより)の願いにより宗猷寺の開山となる。文政7年(1824年)8月26日大工棟梁坂田半三郎により落成された。
- 量感ある外観で、仏殿や法堂(はっとう)(講堂)の基本形である敷石・床を前面に内部を畳敷きとしており、その古い形式をよく表している。
宗猷寺鐘堂
- 市指定文化財
- 1716年~1736年に建立された禅宗様式の鐘堂で、享保年間に飛騨代官の長谷川庄五郎忠祟(ただたか)の助力で築いたとされる。立派な石垣は高山城にあったものとも言われており、市内でも有数の規模である。
- 宗猷寺第九世の時代に長谷川代官の知遇を受け、延享2年(1745年)4月に梵(ぼん)鐘(しょう)を鋳たと鐘銘にある。太平洋戦争中の昭和17年、金属類の不足による供出でこの梵鐘も別院へ集められ供出されたが、昭和37年ようやく新しい梵鐘を備えた。
基本情報
- 所在地
- 岐阜県高山市宗猷寺町218
- 電話番号
- 0577-32-1958
- アクセス
- JR高山駅より徒歩30分
- 駐車場(普通車)
- あり