素玄寺

東山遊歩道の一角、飛騨を治めた金森氏の菩提寺

1609年、初代高山城主であった金森長近(かなもりながちか)の菩提寺として、二代目金森可重(かなもりありしげ)が建立したもの。長近の法号にちなんで素玄寺となりました。金森家ゆかりの寺として知られ、長近が用いていた軍扇や采配等のほか、肖像画を所蔵しています。敷地内に飛騨郡代の大原彦四郎*の墓や、金森家供養塔*があります。


*大原彦四郎:第12代代官、後に郡代。厳しい政策により領民の反発を招き、明和・安永の大原騒動が起こった。墓は建立当初から幾度か倒され破損している。向かって右は長男の墓で、こちらも痛みが激しい。

*金森家累代供養塔:京都へ改葬された金森家の墓地後に立つ供養塔。左右には主君に殉死した家臣の墓石が集められている。殉死は家臣が死後も主君に奉公する意味があり、寛文3年に幕府によって禁止されている。

  • 大原彦四郎の墓
  • 金森家累代供養塔
  • 金森家に殉死した家臣の墓石

生誕500年を記念し、特別展を開催中

飛騨高山まちの博物館では初代高山藩主金森長近(かなもりながちか)の生誕500年を記念し、夏季特別展「どうした長近(ながちか)」を開催中です。金森長近は大永4年(1524)に生まれ、令和6年で生誕500年を迎えます。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人の天下人に使えて各地を連戦、多くの功績を残しました。天正13年(1585)の飛騨攻略では当時飛騨を治めていた三木氏を倒し、その功績として飛騨一円を賜り、飛騨国主として現在の高山の町並みの基礎を築きました。本展では、高山市や京都市に残る長近に関係する宝物や武具、書状などから、金森氏統治時代の礎を築いた長近の事績を振り返ります。 

飛騨高山まちの博物館夏季特別展「どうした長近(ながちか)」
金森長近(かなもりながちか)は大永4年(1524)に生まれ、令…
飛騨高山まちの博物館夏季特別展「どうした長近(ながちか)」

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飛騨国初代高山藩主である金森長近公の出自から活躍、没後までを分かりやすくまとめた特集_飛騨高山の基礎を築いた金森長近公 ~令和6年は生誕500年~もぜひご覧ください。 

特集 HIDABITO 高隆山素玄寺 住職 三塚氏

長い歴史と自然に囲まれた飛騨高山。「人々」「自然」「文化」が共生する様は現在の日本や世界に大きなヒントを与えてくれます。飛騨高山で生活する人々=飛騨人(HIDABITO)を起点に過去、現在、未来をご紹介します。

HIDABITO 026 高隆山素玄寺 住職 三塚 泰俊(みつづかたいしゅん)氏

基本情報

所在地
岐阜県高山市天性寺町39
電話番号
0577-32-2519
アクセス
高山駅より徒歩約30分
WEBサイト
文化財をVRで観る

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