日本遺産 飛騨匠の技・こころ
木とともに、今に引き継ぐ1300年
日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて、我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産」として文化庁が認定するものです。
古代、都の造営のため飛騨の木工技術者を都へ送ることで税に充てた「飛騨工(ひだのたくみ)制度」。「木を生かす」技術や感性・実直な気質は連綿と受け継がれ、高山の文化の基礎となりました。日本遺産、飛騨匠の技・こころ-木とともに、今に引き継ぐ1300年-。飛騨人が木と共に生きてきた1300年の歴史を感じてみてください。
飛騨工(ひだのたくみ)制度
飛騨工制度は、古代における租税制度の中で、飛騨国1国のみに対して特別に定められた制度である。養老2年(718)に制定された養老令賦役令の斐陀国条に、庸、調といった税の代わりに年間100人程の匠丁(技術者)を都へ派遣することが定められている。この匠丁が飛騨工である。飛騨では、奈良時代以前の古代寺院が14箇寺以上と、全国でもまれにみる密度で確認されており、飛騨工制度ができる以前から寺院を建てる高い建築技術をもっていたことがわかる。都の造営にあたり木工技術者の需要が高まり、その優れた技術力を活用するため、この制度が設けられたのである。
飛騨国分寺塔跡・・・古代建てられた七重塔の礎石
飛騨工制度は鎌倉時代、古代律令制度の終焉とともに消滅するが、飛騨匠(飛騨工制度消滅後の飛騨の木工技術者について「飛騨匠」と記載する)はその後も全国で建築活動を行っている。鎌倉時代の飛騨匠の手による建造物として、西明寺本堂や三重塔(共に国宝・滋賀県)が現存する。また、現在も「飛騨匠の祖」として崇敬を集める飛騨権守・藤原宗安は、1311年に長滝寺の大講堂(明治32年焼失・岐阜県郡上市)の大工頭を務めている。
国府盆地の中世社寺建築群
古代寺院跡の多い国府盆地には、中世に遡る建造物も多く残されており、飛騨の社寺建築の流れを知ることができる。荒城神社本殿は明徳元年(1390)再建であり、阿多由太神社本殿は室町時代初期の建立、熊野神社本殿は室町時代後期の建立と伝わる。安国寺経蔵は応永15年(1408)建立で、内部の輪蔵(回転書架で、一回転すると納入された経典をすべて詠んだことになる)は、日本現存最古のものである。
- 安国寺経蔵(日本遺産構成文化財)
- 国府町西門前にある太平山安国寺は、臨済宗妙心寺派の古刹で、本尊は釈迦牟尼仏、脇侍を文殊菩薩、普賢菩薩とする三尊仏です。室町幕府を…
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- 荒城神社本殿(日本遺産構成文化財)
- 荒城神社は延喜式神名帳(927年)に飛騨式内八社の一つと記され、古来より川の神、水の神(河泊大明神)として地域の信仰を集めてきまし…
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- 阿多由太神社本殿(日本遺産構成文化財)
- 祭神は大歳御祖神で、清和天皇の貞観9(867) 年従五位上を授けられ、延喜式や三代実録に記載された古い社です。昔から木曽垣内、半田、三…
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- 熊野神社本殿(日本遺産構成文化財)
- もとは飛騨安国寺の鎮守で、創建は室町初期と推定されています。近年の年輪年代測定調査では、横板壁板の部材が西暦1400年前後の伐採と推…
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- 石橋廃寺塔心礎(日本遺産構成文化財)
- 飛騨には、国府・古川盆地を中心に多くの古代寺院がありました。これは、古代に木工技術者を都へ派遣することで税を免除された、全国唯一…
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- 石橋廃寺跡出土品(日本遺産構成文化財)
- 石橋廃寺跡出土品には、全国的に見ても珍しい戯画瓦があります。遺物は延べ約4000人のボランティアによる発掘調査により出土した資料です。
- 石橋廃寺跡出土品(日本遺産構成文化財)
- 光寿庵跡(日本遺産構成文化財)
- 高山市国府町上広瀬の諏訪神社北方の山中、上広瀬字屋舗一体に光寿庵跡があります。長野県王滝村資料館にある鰐口の銘文に、光寿庵のこと…
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- 光寿庵出土瓦(日本遺産構成文化財)
- 光寿庵跡からは、軒丸瓦、軒平瓦及び戯画瓦などの遺物11点が採集されています。上流社会の服装が描かれ、どれも奈良朝時代の風俗を推察する戯画瓦として貴重なものです。
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高山城とゆかりの建築群
天正16年(1588)から慶長8年(1603)まで16年の年月をかけて飛騨匠たちが建てた高山城は「城郭の構え、およそ日本国中に五つともこれ無き見事なるよき城地」と、近世中期の地誌にも書かれた名城であった。城は元禄8年(1695)に取り壊されたが、それ以前に高山城から移築された建物が東山の寺院群等の建物として残されており、それらを巡ることで今は無き名城高山城をしのび、商家町として発達する以前、城下町として出発したころの高山を感じることができる。
近世・近代の匠達
飛騨匠の祖、水間相模守
町人文化が発達した近世以降、多くの名建築・工芸品が生み出された。代々木工を職とする一門が多く現われ、飛騨匠の技は伝承がなされた。このうち、飛騨権守(ひだごんのかみ)・藤原宗安の直系とされるのが、江戸時代中期以降4代にわたり「水間相模守(みずまさがみのかみ)」を名乗り、優れた彫刻を特徴とした水間一門である。高山中心部には二代目による大雄寺山門や法華寺番神堂、三代目による東山白山神社拝殿、国分寺三重塔がある。水間相模は代々社寺建築を専らとしたが、その流れをくむ者の作品には、それ以外のものもある。村山勘四郎訓縄は彫刻に秀で、相模と共に高山祭屋台を作り、その子民次郎英縄も多くの高山祭屋台を建造改修している。西田伊三郎は木の美しさを最大限生かし、吹き抜けの梁組が特徴的な、近代民家の代表例とされる吉島家住宅を作った。
木を生かす伝統工芸
木の美しさを生かす技は、建築以外にも発揮された。400年前に高山で生まれた飛騨春慶は、江戸時代初期、打ち割った木の木目を生かすために透明な漆で盆に仕上げたことに始まる漆器で、透明で木地の木目が見える漆を用いるため、素材の見立て、加工から漆塗まで全てにわたって高い技術が要求される。宗猷寺には山中を移動しながら木地椀などを作った江戸時代中期以降に築かれた木地師の集団墓地が残されている。一位一刀彫は江戸時代後期、色彩を施さず、イチイの木が持つ木の美しさを生かした彫刻として完成された。これらの伝統工芸の技術や木工技術の粋を結集して作られたのが高山祭屋台である。
- 飛騨春慶
- 飛騨春慶は、良質の木材だけが持つ木肌も素朴な美しさと、透明感のある淡黄金色を放つ透漆塗りの技法が見事に融合し、飽きの来ない風合いをかもしだしています。
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- 一位一刀彫
- 良材選びに始まり、木取り等6つの工程を経て仕上げる一位一刀彫の作品は、年月とともに木肌や木目の色艶が増すことが魅力となっています。
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- 高山祭屋台
- 高山祭屋台は、大工、彫刻、漆をはじめ、飾金具、鍛冶など高山職人たちの技術の粋を結集してつくられた傑作です。
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- 木地師の集団墓地(日本遺産構成文化財)
- 木地師とは、良質な木材を求めて山々を渡り歩き、ろくろを使って木材から椀や鉢、合子などの日用器物をつくる職業集団のことをいいます。…
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ロケーション
問合せ先
高山市飛騨匠日本遺産推進協議会(高山市役所文化財課)電話:0577-32-3333/FAX:0577-35-3172