秋の高山祭をもっと知る 歴史と見どころをご紹介

毎年10月9日、10日に開催

絢爛豪華な屋台(やたい)、からくり人形、獅子舞や祭行列…見どころがいっぱい


秋の高山祭をもっと知る 歴史と見どころをご紹介

飛騨高山を有名にした春と秋の高山祭。重要無形民俗文化財や、ユネスコ世界遺産にも登録されたこの有名な祭を一目見ようと、祭の時期には大変な人出となります。このうち、秋の高山祭は毎年10月9日、10日に開催されます。旧高山城下町北半分の氏神様である櫻山八幡宮の例祭で、正式には八幡祭(はちまんまつり)と言います。八幡祭の特色の1つは11もの屋台(やたい)と呼ばれる豪華な山車。中には精巧なからくり人形を載せた屋台もあり、その複雑な動きには思わず息を呑みます。

その他にも勇猛な舞を披露する獅子舞、絵巻物のような祭行列、提灯を屋台に灯し町を練り歩く宵祭(よいまつり)と見どころがいっぱいです。秋の高山祭について詳しくご紹介します。

絢爛豪華な11台の屋台が勢揃い

ユネスコ無形文化遺産登録「高山祭の屋台行事」
飛騨の匠の技を伝える屋台が最大の見どころ

秋の高山祭は櫻山八幡宮(さくらやまはちまんぐう)を舞台に執り行われます。日程は毎年10月9日、10日で、昭和43年にこの日程に定められました。祭の起源は飛騨を治めた金森氏の時代(1585年~1692年)と言われます。祭の見どころの1つは屋台(やたい)と呼ばれる大きな山車で、この屋台の起こりは1718年頃と言われます。山王祭に12台、八幡祭に11台の屋台が曳き揃えられ、その壮大な風景は見る者すべてを圧倒します。長い年月の中で大火による焼失や、廃台によりいくつかの屋台を失いましたが、屋台組と呼ばれる町内の人々の懸命な支えにより今なお計23台の屋台が維持されています。

9日午後には4台の屋台が曳き廻されます。屋台の曳廻しは春の高山祭では行われず、秋の高山祭だけの行事です。神楽台(かぐらたい)、鳳凰台(ほうおうたい)を含む4台の屋台が町を巡る姿が眺められます。

昭和35年(1960)、現存する23台の高山祭屋台は国の重要有形民俗文化財に指定され、昭和54年(1979)には、高山祭の屋台行事が国の重要無形民俗文化財に指定されました。さらに、平成28年(2016)高山祭の屋台行事が全国の32件の 祭りとともに「山・鉾・屋台行事」としてユネスコ無形文化遺産に登録され、高山祭が世界の財産であると認められることとなりました。

精巧な動きが魅力のからくり人形

複雑、巧妙な仕掛けに息を呑む

櫻山八幡宮境内では9日、10日とも1日2回、布袋台によるからくり奉納が披露されます。「六段崩し」の曲に合わせ、男女2人の唐子が順番に5本の綾(ブランコ)を回転しながら飛びつたい、 布袋和尚の肩と手に乗ると、布袋の左手の軍配の中から「和光同塵(わこうどうじん)」と書いた幟が出てくる仕掛けになっています。36条もの糸を8人で操る極めて精緻巧妙なもので、まるで生きているかのように鮮やかな動きを見せるからくり人形たちの演技に魅了されます。

高山祭の屋台におけるからくり人形は文化・文政年間(1804~1830年)に遡ります。この頃から、からくり人形が取り入れられるようになり、江戸時代にはほとんどの屋台でからくりが演じられていました。現在は春秋合わせて4 台のみです。

高山祭のからくりは能の外題などを題材にした高度なもので、その内部機構は非常に巧妙で複雑、操作は極めて難しいものです。長年にわたる修練と経験と勘が必要で、早い場合は小学生から練習を重ねます。操作は組内の中から選ばれた綾方(あやかた)によって行われます。組の中でも数人しか務めることができない綾方は、いわば屋台組の花形です。

からくり奉納はYouTubeでもライブ配信されます。

屋台を彩る豪華な装飾品の数々

名工の手による精巧な作品たち

現在の屋台に見られる精巧な彫刻は、文化・文政の頃にはまだ取り付けられていませんでした。天保8年(1837年)に信州は諏訪の名工  立川和四郎の彫刻が山王祭の屋台「 五台山(ごたいさん)」に取り付けられたことに刺激を受け、以後、谷口与鹿(たにぐちよろく)など高山の名工による彫刻が取り付けられることになっていきます。飛騨匠(ひだのたくみ)達は腕を競い合うようにしてその名人気質を遺憾なく発揮し、それぞれの屋台を飾り立てました。

これらに加え、漆塗り、飾り細工など、屋台を豪奢に装う数々の装飾物は、飛騨人の伝統の技として今も伝わり、屋台の維持や修理に大きく貢献しています。

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伝統の衣装に身を包んだ数百人もの祭行列

まるでタイムスリップしたかのよう 絵巻物のような光景

祭行列は氏子の繁栄を願い、神様が1泊2日の旅をするものです。行列は御神幸(ごしんこう)と呼ばれます。総勢数百人もの大行列はたいへん華やかなもので、御神輿(おみこし)を中心に獅子、闘鶏楽(とうけいらく)、雅楽、裃(かみしも)を着た警護など、伝統の装束を見にまとった人たちが時代絵巻さながら各町内を練り歩きます。また、屋台の代わりに屋台組の旗を立てた台車「臺名旗(たいめいき)」も行列に加わります。行列には、警護役として一文字笠に家紋の入った裃(かみしも)姿の人たちが参加します。文化年間の高山祭絵巻にも裃姿の人たちが描かれており、江戸時代からの伝統文化を長く継承しています。年に一度の晴れ姿のため、着付けの技術を忘れないよう、市が主催する着付けの講習会が毎年行われています。

氏子の人たちは、行列がまわってくるのをそれぞれの家の玄関先で待ち、御神輿の神様を迎えます。この際、高所から御神幸を見下ろすことは固く禁じられています。さらに、祭りの日には氏子区域の各家の前に、 簾や紋付の横幕をかけることが多く、これは神様がお通りになる際に家の中の汚れたものをお見せしないという伝統です。 


カンカコカンと鉦(かね)の音が響く闘鶏楽(とうけいらく)

地域の子ども達が奏でる鉦の音

闘鶏楽(とうけいらく)は鳥毛打(とりげうち)とも言います。地域の人たちはその音色から闘鶏楽のことを「カンカコカン」と呼んでいます。一文字笠に龍と鳳凰を染め抜いた飛騨染めの衣装を身に着け、鉦と締太鼓を打ちながら行進します。祭が近づくと地域の子ども達が毎晩熱心に練習を行い、年に一度の晴れの舞台へ気持ちを高めていきます。

勇猛な舞を見せる獅子舞

獅子の舞が悪霊を祓う

  • 第3回飛騨高山フォトコンテスト入賞 撮影:松井あや子氏

祭行列を先導するのは獅子舞。獅子は悪霊退散、祭礼場の祓えの役割を持っています。徳兵衛獅子(とくべえじし)とも呼ばれ、飛騨に伝わる多くの獅子舞のなかでも伝統的なものです。深緑に朱色で獅子頭の毛を模様化した油単(ゆたん)をかぶり、勇猛な舞を見せます。

幻想的な光景に酔いしれる宵祭(よいまつり)

提灯が揺らめき夢か朧かのような光景

  • 第6回飛騨高山フォトコンテストグランプリ受賞 撮影:高野芳枝氏
  • 第7回飛騨高山フォトコンテストグランプリ受賞 撮影:安藤秀美氏

高山祭のもう一つの魅力を教えてくれるのが、9日の夕方から始まる宵祭。9日の夕方、曳き揃えをしている櫻山八幡宮の表参道からそれぞれの屋台蔵(やたいぐら)へ屋台を戻し、約百個もの提灯を付け、宵祭の準備をします。午後6時になると、神楽台を先頭に計11台の屋台が夜の町並みを巡行し始めます。提灯の灯りに浮かび上がるその様子は幽玄の美を思わせ、昼間の姿とは違う魅力を見せてくれます。屋台が順道場(じゅんどうば)にたどり着くと、曳き別れ歌「高い山」の調べとともに各屋台蔵に帰っていき、哀愁とともに1日目の祭りが終わりを迎えます。 

各屋台のご紹介

神楽台(かぐらたい)

沿革

宝永5年(1708年)、以前に金森重勝(左京)から寄進されていた大太鼓を、荷車風のものにのせ、獅子を舞わせて祭礼に巡行しました。享保3年(1718年)には氏子の有力者風井屋長右衛門が神楽台を新調寄付しました。文化12年(1815年)に大改造。嘉永年間(1848年から1854年)に修理。明治37年(1904年)に現在の台形に改造されました。昭和9年、昭和41年修理。


文化改修

設計:田中大秀
工匠:風井屋長右衛門

明治改修

工匠:村山民次郎


構造:屋根無 太鼓昇降 四輪外御所車


特色

金森重勝寄進の太鼓は音響遠近にとどろき、文久年間(1861年から1864年)には他組の妬(ねた)みをうけて鎌で切りつけられたと伝えられています。祭礼に際しては、侍烏帽子、素襖(すおう)姿の5人の楽人をのせ、獅子舞を付随させます。棟飾りの鳳凰と、天照、八幡、春日の3神を表した金幣束が独特です。

布袋台(ほていたい)

沿革

創建年代未詳。天明年間(1781年~1789年)には布袋のからくりが行なわれたと伝えられます。文化8年(1811年)、現在の台形に大改修されました。大正初年、昭和35年、昭和42年修理。


文化改修

工匠:古田与兵衛

彫刻:中川吉兵衛


構造:切破風屋根 四輪内板車


特色

からくり人形は、36条の手綱で操り、綾渡(あやわた)りと呼ばれる極めて精緻巧妙(せちこうみょう)なものです。6段崩しの曲につれ、男女2人の唐子が5本の綾(あや)(ブランコ)を回転しながら飛び伝い、機関(からくり)樋の先端で所作をしている布袋和尚の肩に乗って喜遊すると、布袋の左手の軍配の中から「和光同塵(わこうどうじん)」と書いた幟(のぼり)が出てくるという構成です。鳥居形の出入口や、下段の上部が中段の役目をするなど、文化年間以来小修理しか行なわれていないため、台形に古趣を豊かに残した屋台です。

金鳳台(きんぽうたい)

沿革

享保3年(1718年)に曳行に加わったという伝承があり、天明年間(1781年から1789年)に曳行の記録もあり、創建年代は古い。文化年間(1804年から1818年)に一時休台。文政元年(1818年)に再興して、神功(じんぐう)皇后、武内宿禰(たけうちのすくね)の飾り人形の修理も行われました。嘉衛5年(1852年)に改修。その後数度の修理を行っています。


文政再興

工匠:古田与兵衛

嘉永改修

工匠:角竹茂助


構造:切破風屋根 四輪内板内車


特色

棟飾りとして、台名を象徴する金地の鳳凰が翼を張っています。中段欄間には、四条派風に四季の草花が描かれています。人形の竹内宿禰が抱いているのは応神天皇です。一見地味にも見えるこの屋台は、それだけに文政再興当時のおもかげをよく残しており、構築上、最も整備された形態をもつ屋台として聞こえ、初期の屋台の風格をしのぶ優美な屋台です。

大八台(だいはちたい)

沿革

文化年間(1804年から1818年)、文政台組と分かれ、文政元年(1818年)に高山で最初の3輪の屋台として創建されました。明治41年、昭和30年、昭和46年修理。


文政創建

工匠:光賀屋清七
塗師:輪島屋儀兵衛

明治改修

工匠:村山民次郎


構造:切破風屋根 三輪外御所車


特色

台名の由来ともなっている3輪の御所車(大八車)のうち、外2輪は高山屋台中最大で、直径は1.56メートルあります。屋根飾りには両端に八幡、春日大神を表す大金幣束を立っています。屋台囃子(ばやし)の名曲「大八」はこの組の作曲で、他の多くの屋台組でこれを崩して使っています。中段は幕を張らず、御殿風の吹きぬけで楽人が見えるようにし、以前はここで雪洞(ぼんぼり)を灯し、青、緑、桃色の直衣烏帽子(のうしえぼし)をまとった6人の童子が大八の曲を優雅に奏しました。


鳩峯車(きゅうほうしゃ)

沿革

延享4年(1747年)以前の創建で、大変古い屋台です。当時は「大津絵(おおつえ)」という台銘で「外法(げほう)の梯子剃(はしごそ)り」と呼ばれる福禄寿と唐子のからくり人形がありました。文政9年(1826年)、大破のため休台し、天保8年(1837年)に再建されました。この時4輪より3輪御所車となり、八幡宮にちなみ台銘も「鳩峯車」と改められました。安政年間(1854年から1860年)にも大破のため休台し、慶応3年(1867年)修理、明治27年(1894年)大修理その後も数度の修理を重ね現在に至っています。


天保再建

工匠:牧野屋忠三郎・彦三郎

慶応改修

工匠:谷口与三郎宗之

明治改修

工匠:村山民次郎


構造:切破風屋根 三輪外御所車


特色

見送り幕、胴掛け綴錦織(つづれにしきおり)の高価なもので、天保再建の際、購入したものです。これだけ贅沢な幕をしかも四方に掛けている屋台は他にありません。

神馬台(じんまたい)

沿革
享保3年(1718年)「高砂(たかさご)」の名で曳行したといわれます。明和6年(1769年)改造。文化13年(1816年)に神馬の人形を新調し、この頃から「神馬台」と呼ばれました。文政13年(1830年)再改造。安政年間(1854年から1860年)、明治35年(1902年)修理。その後も数度の修理をして現在に至っています。


構造:切破風屋根 四輪内板車


特色
下段4隅の丸柱は中段に突き抜けて、先端に青龍刀を付け、4神旗をかけています。飾り人形は以前は高砂の翁(おきな)と媼(おうな)の2体であったが、文化9年(1812年)に他組に譲り、現在は跳躍する白馬と2人の馬丁の人形を飾っています。昔は、別名を暴れ馬といい、祭のときに隣りにあった組などとよくけんかをしたといいます。紫鱗(うろこ)紋織り出しの大幕に刺繍された大般若(はんにゃ)面が印象的で、屋台囃子には雅楽の越天楽(えてんらく)を用いています。

仙人台(せんにんたい)

沿革
八幡祭の屋台行列は享保3年(1718年)の開始と伝えられ、その頃の屋台「湯(ゆ)の花」の組が分かれて仙人台の組ができたといわれます。明和から安永の始め頃に仙人台の屋台が造られたと推測されます。その後再建し、寛政5年(1793年)の記録には「仙人台」の名がみえ、当時は久米(くめ)の仙人と美女のからくり人形がありました。文政年間(1818年から1830年)改修。その後数度の修理を重ねて現在に至っています。


文化改修

工匠:古田与兵衛・浅井一之(かずゆき)


構造:唐破風屋根 四輪車内板車


特色
最も古い形を残した屋台といわれています。以前は他の多くの屋台が唐破風の屋根であったといわれ、切破風に変わり、この屋台だけが唐破風の古態を残しています。屋根飾りには極彩色の剣巻龍を前後に立てています。往時は久米の仙人が、洗濯する美女の美しさに見とれて雲上から墜落するというからくりがありましたが、明治初期に廃止され、現在は仙人の像のみが飾られています。

行神台(ぎょうじんたい)

沿革
八幡祭の屋台行列の始まりといわれる享保3年(1718年)には、屋台4台が曳かれましたが、その1台「湯の花」から分かれて創建されたといわれます。天保2年(1831年)改修。明治8年(1875年)の大火で一部を焼失し、同16年(1883年)に恵比須台より部品を譲り受け再興されました。その後明治36年(1903年)より破損のため休台しましたが、昭和26年、大修理をして50年ぶりに復活し、屋台蔵も建造されました。昭和43年、昭和59年修理。


構造:切破風屋根 四輪内板車


特色
祭神として、役小角(えんのおずの)(役の行者)の飾り人形を祀り、中段高欄は玉垣、上段高欄の4隅には密教の法具五鈷(ごこ)をさすという形態になっています。これは、当地域が、役小角を崇敬する一人の行者によって開拓されたため、その遺徳を追慕したことに由来します。また、このような由緒から、以前は道開きの屋台として常に神楽台につぎ全屋台の先頭を曳いていました。


宝珠台(ほうじゅたい)


沿革
創建年代未詳。安永の頃(1772年から1781年)の創建説もあります。文政11年(1828年)から12年(1829年)大改造。その後明治41年(1908年)にも改修され現在の台形に改められました。以後数度の改修をして現在に至っています。


文政改造

工匠:中洞村喜三郎

明治改修

工匠:村山民次郎


構造:切破風屋根 四輪内板車


特色
屋根飾りとして、雌雄の大亀一対と台名に由来する大宝珠3個が飾られています。以前は7色に染め分けられていた宝珠が下段高欄に飾られていましたが、それは廃され、中段と屋根飾りに金銀の宝珠が飾られています。ケヤキ1枚板の台輪(だいわ)は高山の屋台中で最も美しいものといわれています。屋根の亀はこの屋台の名物で、ある朝、この亀がいなくなったので探していると、宮川の水の中に。そこに「名工の作った亀は水を求めて川に入る」と書かれた立て札が立ててあり、他組のいたずらだったという話があります。

豊明台(ほうめいたい)

沿革
創建年代未詳。はじめは「芦刈(あしかり)」という台名でからくり人形があったといわれます。天保6年(1835年)改造。この頃の台名も八幡宮の祭神応神天皇の豊明宮(とよあけのみや)に因み、「豊明台」と改められました。明治33年から35年(1900年から1902年)大改修。その後も数度の修理をして現在に至っています。


明治改修

工匠:村山民次郎


構造:切破風屋根 四輪外御所車


特色
もとは天皇の即位する8角形の高御座(たかみくら)を模した台形であり、明治改修以前まで、下段中段ともに、縁(ふち)の4隅を切って8角形にしていました。現在はその名残を大幕の部分に残しています。屋根飾りの大鳳凰と宝珠、上段の菊花彫刻、中段の牡丹彫刻、中段の白彫りの12支の彫刻、下段の唐獅子、御所車など、華麗に装飾された屋台です。

鳳凰台(ほうおうたい)

沿革
創建年代未詳。文政元年(1818年)に再興され、嘉永4年から7年(1851年から1854年)改修が行なわれました。明治40年から43年大修理。その後数度の補修をして現在に至ります。


嘉永改修

工匠:谷口延恭(のぶやす)
彫刻:谷口与鹿・浅井一之

明治改修

工匠:村山民次郎


構造:切破風屋根 四輪内板車


特色
下段にあるケヤキ白彫りの谷越獅子の彫刻は高山の屋台彫刻中最大のもので、名工谷口与鹿の下絵をもとに、与鹿とその弟子浅井一之によって彫られたといわれます。明治の改修まで3万坪(1坪は3.3平方センチメートル)もの大量の金具が打たれています。本見送りは柚原双松筆の鳳凰の綴錦織(つづれにしきおり)、替見送りは西村五雲筆の龍の墨絵で、華麗で均整のとれた屋台です。


出典:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)

2024年の秋の高山祭

祭当日のスケジュール、場所など

2024年(令和6年)10月9日、10日に行われる秋の高山祭について、詳細な内容は下記をご覧ください。

祭当日のご連絡先

高山祭案内本部

電話0577-36-0285

※対応時間:10月9日 8:30~21:00、10日 8:30~16:00

※ただし宵祭が中止の場合は、10月9日 8:30~17:30

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