HIDABITO 028 小屋名 こやなしょうけ保存会 会長 森 久治 もり きゅうじ

 

HIDABITO 028 小屋名 こやなしょうけ保存会 会長 森 久治 もり きゅうじ氏 

先祖の想いが脈々と息づく久々野くぐので、ひたむきに民具の伝承に力を注いで


地域のため、人のためにと心を尽くし、「小屋名しょうけ」を次世代へつなぐ

高山には町に愛され観光客の心を掴む、祭りや市(いち)が様々ある。毎年1月24日に開催される二十四日市もその一つだ。会場となるのは本町通りと安川通り。竹かごやしゃくし、笠といった民芸品を販売する露店がずらりと並び、買い物客の目を楽しませる。もとは農家の人が稲刈り後の農閑期に作った日用品を、旧暦の12月24日に歳の市で売ったのがはじまりという。一日限りのこの市に今年は約3万2000人が訪れ、雪の降りしきる中であたたかな賑わいを見せた。


森久治さんは、そんな二十四日市に欠かせない「小屋名しょうけ」の作り手の一人。小屋名とは高山市久々野町の北東部に位置する地区で、森さんはそこで生まれ育った。




「しょうけはね、升受(しょううけ)と呼ばれていたのがどうやら なま って『しょうけ』になったようですな。昔、小屋名の男衆は越前へ出稼ぎに行っておったんです。今の福井ですな。そこで編み方を習った竹細工のざるを、地元へ戻ってから材料やら形を改良したのが『小屋名しょうけ(以下、しょうけ)』ですな。」


やわらかな語尾の端々に、森さんの温厚な人柄がにじみ出る。そんな森さんが手がけるしょうけはキュッと目の詰まった精巧なつくりで、いかに丁寧な仕事であるかは素人目にも明らかだ。水切りに優れ、特に穴の開いたフォルムの片口しょうけは水でいだ後の米あげに重宝する他、最近では花材をアレンジするなどインテリアグッズとしても注目されている。




しょうけは冬場の良い収入源となったが、時代の流れで生産者、生産数ともに激減。平成に入ると、小屋名でしょうけづくりに携わる人はわずか2名になっていた。ふるさとの伝統工芸が消滅するかもしれないーー

当時、小屋名区長を務めていた森さんは危機感を抱いた。


「役場のみなさんとの座談会で、作る人がおらんようになってきたという話が出て。しょうけをなんとかして残していきたいというのは総意でした。今のうちに技を習って後継者を育成したらどうかということで、保存会をやろまいかと、みなさん賛同してくれたんです。」


こうして平成8(1996)年、小屋名しょうけ保存会が発足。森さんはしょうけづくりの工程を一から身につけ、60歳を過ぎて自らも伝承者になった。


「先輩がたの作るところを見ておったんです。ものづくりは見て学ぶ“見覚え”が一番早いですな。」




10〜3月までの農閑期、久々野まちづくり協議会のサポートのもと、保存会ではしょうけづくりの講習会を行なっている。10回に渡って全工程と技術を学ぶ講習には、高山のみならず下呂や富山からも受講者が集まる。森さんはいとも簡単に材料のスズタケを割いたり引いたりするが、初心者には至難の技。そんな様子を見て、森さんはスズタケを一気に8本まで割く竹割機と、竹引き作業を補助する台を開発した。


「昔は足で押さえてやっとったですな。講習会では女性の方もやるもんで、みなさんと一緒に何がいいかと考えて、竹引き用の台をこう作って。足の代わりですな。」


森さんは、保存会立ち上げから現在まで保存会の会長として、後進の指導はもちろん、各地のイベントに参加し、小屋名しょうけのPRを行っています。これが認められ、令和6(2024年)2月には高山市から「飛騨高山の名匠」と認定された。すごいですね!と功績を讃えると、「みなさんのおかげでこうやってなったんですな」と言って、穏やかに微笑んだ。




平成29(2017)年、小屋名しょうけは岐阜県の重要無形民俗文化財に。

「伝統を守っていくことが大事ですな。小屋名しょうけじゃなく、飛騨しょうけくらいにやっていく気概で、それまでは頑張りたいと思っとります。」


森さんの想いは、講習会で出会った教え子たちへ技術とともに継承され、その先の未来へと紡がれていく。


社名小屋名しょうけ保存会
住所高山市久々野町小屋名1068番地2
電話0577-52-2518



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