HIDABITO 001 飛騨産業 板屋 敏夫 氏
木と共に生きる現代の名工が 滝の流れる原生林を歩く
大きい木ほど、そのまま残しておきたい。
十三ある滝の源に向かって進んでいくと、ひんやりとした空気が身体を包み込む。滝のあげる水煙と、その周りに立ち並ぶ大樹の呼吸の両方が、辺りをしっとりと潤ませているのだ。
高山市国府町にある宇津江四十八滝。県内屈指の美しい渓谷を寄り沿う滝群の総称である。無数にある滝筋のうち、名前を持つ滝が全部で十三。起点となる魚返滝から頂上にある上平滝までは、のんびり歩いても一時間ほどでたどり着く。
その道程の半分ほどの場所にあるのが、不動明王の祠を脇に従えた上段滝だ。幅広の滝筋は、雪解け水があふれる夏から秋の間は勢いよく飛沫を上げ、冬になればさえざえと凍りつく。流水に撫でられ続けた岩肌は、まるでみがきあげたようになめらかだ。
「この辺りまで来たのは久しぶりです。最後に来たのは多分、二十代のときですよ。麓の温泉には時々来るんだけど……」
滝の前でそう呟くのは、高山市の老舗家具メーカー・飛騨産業株式会社の板屋敏夫氏。平成26年、「現代の名工」(正式名称「卓越した技能者」)として国から表彰も受けた家具職人である。
飛騨は古代より優れた大工を多数輩出してきた土地で、その彼らは古くから「飛騨の匠」と称えられていた。板屋氏はその飛騨で生まれ育ち、昭和40年、16歳で飛騨産業に入社して以来、試作を行う技術部門一筋で木工に携わり続けている。
「この辺は全部スギ、こっちはカツラですね。将棋盤はよくこれで作るんです」
家具に使用される主な樹種はその木の葉を見れば分かる、と板屋氏は言う。飛騨産業でよく使われるスギも、渓谷周辺には多数見られる。
「小中時代にあった植林の授業を思い出します。一日かけて、スギ、ヒノキ、カラマツなんかを植えました。だからその辺りの木には馴染みがありますよ」
スギは材質がやわらかく、ある程度の強度を必要とする家具作りには不向きとされていた樹種である。しかし、クリプトメリア・ジャポニカ(隠された日本の財産)との学名も持つこの木に着目した飛騨産業は、加熱圧縮で木材の密度を高めるという方法で、この木を使いこなすことに成功した。板屋氏もその技術で、数々の優れた木工家具を世に送り出してきている。
木でできた家具の魅力とはいったいなんなのだろうか?
「やっぱりあったかみじゃないですかね。使い込めば使い込むほど、愛着がだんだん深まっていく。傷がついてもその傷がまた愛おしくなっていく。それが木の家具の、一番のよさじゃないかなと思うんです」
木だからこそ、傷ついても古びても深まっていく愛着。その愛着によって、木工家具は親から子へ、またその子へと引き継がれていく。
海外メーカーの家具も数多く見てきた板屋氏は、こうした日本の木工家具の特徴は、デザインの美しさよりもむしろ品質を追求してきたところにあるのではないか、と推測する。
「日本の家具は、加工精度が高いんです。ひとつひとつのパーツを接続するための穴と枘を0.1ミリ単位で正確に加工するとか、パーツ同士を張り合わせるための接着剤の品質を上げるとか。もちろんそんなこだわりは、家具をぱっと見ただけではわかりません。でも、何十年も使ってくると確実に差が出てくる。そういった精度に対して、日本人は敏感なのかもしれませんね」
何十年も使ってみて初めてわかる良質さ。インターネットで安価な組み立て式家具を取り寄せ、傷んだ家具は引っ越しの度に捨てる、という生活の中では決して確かめられない価値がそこにはある。
「それから、木材の質というのは水分管理で決まるんです。山に生えているときの木というのは、水分をたくさん含んでいるわけですよね。それを製材し、乾燥させて家具用材にしていく。そのときに、一般家庭の環境に馴染む水分量にできるかどうかが生命線なんです」
木材の質は水分量で決まる――。木の家具だけが持つしっとりした感触、スチールや合成樹脂では再現できないあたたかみは、そこに含まれた水気によるものだ。そしてその水気は、ニスの隙間からも自在に出入りを繰り返す。梅雨時期には木製のタンスがふくらみ、冬期は乾燥して縮んでいく。風の通わない倉庫に閉じ込められていた椅子は傷みの進行が早くなる。
「家具も呼吸しているんです」
滝川と同じ水を吸い上げ、ひっそりと呼吸する木々の合間で板屋氏は素朴にそう語る。
木工家具を作り続けて五十年。その間、大きな怪我をしたことは一度もないという。
「一度だけ、親指の付け根を軽く切ったことがありましたけどそのくらい。仕事がら怪我をされる人を見ましたけどね。指の先を落としてしまった人やなんか……。
私が今まで大きな怪我をしなかったのは、加工の基本を大事にしてきたからかもしれません。
怪我をしてしまった人は、どこかで基本をおろそかにしてしまった時が多いんです。
だから若い人たちには必ず基本が大切だということを教えます。
道具の使い方、機械の安全な使い方、例えば刃はこういう風についているからきれいに切れるんだとか、このような方法で加工すると怪我をするというように基本を理解してもらう。小さな道具でも大きな道具でも、原理としては同じですから」
若い職人の育成に力を入れる板屋氏は、岐阜県立木工芸術スクールの講師を勤める他、飛騨産業が運営する、飛騨職人学舎という木工学校でも後進の指導にあたることもある。
「職人学舎にいる人たちは意気込みが違いますね。少人数制の学校で、今年の生徒は8人くらい。一年間スマホも持てないし、盆正月しか家族にも会えません。でも皆とても楽しそうなんです。高校生くらいの年齢の子なんか、スマホも持てないなんて嫌だろうと思うんですけど、そこの子たちはとてもいきいきしている。好きなことに没頭できる環境だからでしょうね。やりたい仕事をやり続けられるのは楽しいですよ。私も同じです」
木に触れ、加工し、人に長く愛される家具を作る。若い人にその技術を継承する――その「好きな」ことを、板屋氏は今も続けている最中だ。定年の年齢は過ぎたが、今も入社時と変わらず始業の30分前までには出社し、さまざまな業務をこなす。休みの日には日曜大工も楽しむ。
「市外に嫁いだ娘の家具も作った事があります。ええ、お願いされて(笑)」
はにかんだ笑いを浮かべる板屋氏の、その父・祖父もまた地元に根付く大工だ。子どもの頃から大工道具に親しみ、祭礼で使う鐘木や塔婆など、村の人々の頼みに応じて作った。養子に入った先も大工の家系で、今は後進の指導に邁進する――まさに現代の「飛騨の匠」だ。
「この土地以外で暮らしたことはないですけど、高山のことはやっぱり好きですね。落ち着いていて。私も休みの日に、観光客に混じって三之町を飲んで歩いたりするんです」
高山市中心部から少し行けば、この四十八滝のような豊かな自然や山稜も広がる。そして、その向こうから運ばれてくるさまざまな木材が、この土地で呼吸を止めることなく家具へと形を変え、日本全国へ、そして世界へと送り出されていく。水が流れるように、その水を含んだ木々もまた世界を巡るのだ。その循環の中に、板屋氏の実直な活動も含まれている。
「この木なんかは、枝が多いから家具の材料としては使えないですね」
立ち並ぶ木々の間を歩いていると、職人らしいそんな言葉も飛び出す。大きく育った木を見ると、やはり「これで家具を作りたい」と職人心がうずくこともあるのだろうか。
「いや……大きければ大きいほど、そのまま残しておきたくなりますよ」
木肌をなでる“匠”の手はとても大きく、厚かった。
社名 | 飛騨産業株式会社(本社工場) |
住所 | 岐阜県高山市漆垣内町3180 |
電話 | 0577-32-1001 |
公式サイト | https://hidasangyo.com/ |
社名 | 高山店 森と暮らしの編集室 |
住所 | 岐阜県高山市名田町1-82-1 |
電話 | 0120-606-655(フリーダイヤル) 0577-36-1110 |
公式サイト | https://hidasangyo.com/ |